蝉をひっくり返す季節

今年も蝉をひっくり返す時期がやって来た。僕は一般的な人に比べると、道路とか生け垣とか、その辺りで異変があるとよく気がつくタイプだと思う。駅前の交差点、今日もやっぱり交番の前あたりでうねうね手を振っている。

そう、蝉だ。背広姿で地面に屈むのは少し勇気がいるが、やってみると他人はそれ程気にしない。さて、一旦ひっくり返してみたが、飛ぶ気配は無い。下を見ないで歩く人間に踏みつけられるのは時間の問題。自然に、拾い上げていた。


手に捕まる力は十分だけれど、だいぶ弱っている。この暑さも堪えているのだろう。川沿いの木を探す、しかし風は強く、樹皮は固くすべすべしている。そのまま、公園まで歩いて行くことにした。

今夜も暑い。ひっきりなしに手の中でもぞもぞ動いている。手の中は、もっと暑いのかもしれない。手のひらを出て登りたいのに任せておく。すれ違う人は、誰も僕の手にたかる蝉には気がつかない。だれも、そんな事は予想していないからだ。

公園、犬を散歩する人々、園内は思ったよりも薄暗い。8時前ぐらい。街灯のそばに、ひときは大きな樹があった。これがいい。ガサガサした樹皮にたからせると、ゆっくり登っていく。ちょうどその先に、蝉の抜け殻があった。それがあるなら、蝉が好む樹液がでるに違いない。もっとも、それを吸うだけの体力はもうないかもしれない。


蝉は何故、高みを目指して登っていくのだろう。体を起こす力も、飛ぶ力も無いのに、なんで登っていくのだろう。こんなことをするのは、間違いなく人間のエゴだ。駅前の地面に住む蟻たちの夕食を、僕はダメにしてしまったのかもしれない。でもまあ、積極的に介入していこうと思う。何にも関わらないで生きていくことは、結局は出来ないのだ。

やっぱりね、田舎だよ

Photo: "The observer in the summer."
Photo: “Observer in the summer.” 2018. Kochi, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM, ACROS+Ye filter

「やっぱりね、田舎だよ」

友人は、諦めたように、そして断定的に、言った。
高松の空港から 20分も南に走ると、もうそこは温泉街になってしまう。日曜日の店のやって無さ加減、恐ろしく広いコンビニの駐車場、沿道の見知らぬ名前の地方銀行。空港に行く前に、最後に訪れる場所として友人が選んだのは、自宅から車で 30分ほどの温泉街の日帰り湯だった。

こっちに向かって飛んでくるアブと戦いながら、露天風呂に浸かっていると、未だ新緑の楓の葉を、風が渡る。良い気分、でもここに住めるか?と聞かれたら無理だなと思う。


小学生の頃、東北のある県の小さな町で 3年間を過ごした僕にとって、田舎暮らしの苦痛、「世間」から置いていかれてる感は、思い出すのに時間はかかったが、理解できる話だった。あふれる自然、自らの意志で選んだならいいだろう。だが、そこに住まざるおえなくなった人間にとっては、不便の象徴でしかなかった。小学生の僕は「田舎」を憎んだし、将来田舎に住みたいとは今でも思えない。

その土地で生まれ、育ったなら、愛着なり、沢山の知り合いなり、そういうものがあるだろう。だが、よそから来た僕たちにとって、そこは故郷では無い。そして、はなからそこに根を張る気のない人間というのは、地元の人間にもきっと分かってしまう。


それでも、今はコンビニというものがあって、日本全国どこでも同じようなものを売っている。同じキャンペーンが行われ、同じ雑誌が並ぶ。赴任した当初、コンビニに行くとほっとした。そう言った友人のコメントには、なんだか妙な説得力があった。

早く戻ってこられると良いね。