ニラのキムチ

20040926-mark205.jpg最近食べたもののなかで、「これは!」とビックリしたのはニラのキムチ。
川崎あたりの某店で食べたニラの水キムチ(なんか塩スープみないなのに生ニラとかが浮いてる)も衝撃だったけど、こちらは普通にキムチに仕立てられてる。
一歩間違うと相当臭いものになりそうだが(腐ったニラの臭いって凄いらしい)、これはうまいこと「発酵」してる。
翌朝起きたときには、そーとー自分が臭かったが。

フェリーのホットヌードル

20040924-mark199.jpg九州の旅の飯をいくつか。(っていうか、一応全食撮ったのだが、とても本編に載せるわけにもいかず。そんなに話のタネもなく)
まずは、フェリーでの優雅な昼食。まあ、カップラーメンです。
乗り込んだときに、カップラーメンの自販機を見て、カップヌードルではなくてホットヌードルであるその微妙さに心打たれ、「多分買うことは無いだろう」と思っていたのですが、船の食事ってやっぱり飽きる。
別に豪華客船ではないので、朝飯の後(バイキング)、昼飯(バイキング)とかって割と内容の予想が付いてしまうのです。晩飯(バイキング)もあるしなぁ。
動いてないから腹も減らないし、まあ、カップラーメンでいいか、みたいな気分になって買ってみる。お湯がぬるいかも、という懸念はしかし、非常に頻度高く使われる販売機らしく、ちゃんと熱々でした。持てないぐらい。
ホットヌードルのカレーというのは初めて食べたのだけれど、かなり微妙やね。なんかカレーパンみたいな匂いがする。それでも、海を眺めながら食べれば、それなりに食べられてしまいます。デッキで食べるのは辞めた方がいいね、風が強いから麺が飛ぶと思われます。

blogはblogなりの

普通のテキストサイトだと、日記才人とかテキスト庵とか、あるいははてなアンテナとかを使って更新報告をするのだけれど、やってみて分かったのはblogはそれに馴染まない。
はてなアンテナはカウンタアップまで拾ってしまうし、更新頻度が高いと日記才人はペナルティーを食らう。(←これは個人的には良い仕様だと思ってます)
さて、いままで、blogサイトって読むこともなかったので知らなかったのだけれど、blogにはblogの更新サイトが幾つかある。blogからだと更新情報をそのサイトに自動送信することもできるのだ。ただ、例によって、NucleusだとNP_SendPingというプラグインが別途必要。
http://www.fukulog.com/618.html
このプラグインはMTとほぼ同等のpingを自動で打ってくれるので、とても便利なのだけれど、設定方法とか書いてない(気がする)のでちょっと戸惑った。
設定は、各blogの設定画面「管理ホーム」から、[設定]ボタンを押して、「Blog設定の編集」の画面の中段にOptions for NP_SendPingというのがあります。URLの区切りは、カンマ「,」で入れるのが良いようです。
それから、一部のスキンで、 というヘッダになっている場合、rssフィードが出せないので、 カテゴリー: ネット&PC&Mac | コメントを残す

松茸ってうまいのか?

20040923-mark185.jpg世田谷区某所。謎の奉書焼き(?というか、ホイル焼きというか)をあけると、松茸が出てきた。
秋だなぁ?。
でもさぁ、松茸ってうまいのか?確かに何か他のキノコに比べると、「松茸の匂い」っていうのは明確に分かる気がするし、そのぬぼっとした風体は、日本人がキノコの王様として崇めたくなりそうな気もするが、、。
でもなぁ、やっぱりウマイのかな?
(ウマイとは思うが、そんな高い金を払うモノではないと思う。)

「我が心は IC にあらず」

「今のところは、もっぱら深夜の受話器や同好会のサークルノートにたたきつけられている、青春の情熱 や個人的な愚痴や妄想や表現欲求が、大量に出版され、あるいは電話回線を通じて不特定多数の読者に向かってバラまかれるのだとしたら、これは相当に鬱陶し いことになるに違いない。*1」

と、小田嶋隆が書いてから約 15年。予想通り、事態は相当に鬱陶しい事になっている。電話回線どころか 100Mbps の光回線に乗って、億千の繰り言が目前のディスプレイまでやってくる。


僕はまた、小田嶋隆の「我が心は IC にあらず」を読んでいた。

何度読んでも、面白い。コンピュータという産業自体が、まだまだヤクザだった黎明の時代。そんな時代に、20代フリーランスのテクニカルライターが 紡いだ文章は、15年の時を経てなお、面白く、そして振り返ってみれば、たくさん正しかった。小田嶋隆の文章は、かつての本の時代にあって、今の web のような独特の「近さ」みたいなものを持っていたのであって、間違いなく新しかったのだ。

ついぞ考えた事がなかったのだが、今、インターネットには、小田嶋隆のホームページというものが存在する。15年前のこの本の上に固定されていた小 田嶋隆というテクニカルライターは、現実の世界で、それだけの歳をとって、やはり存在していた。google で簡単に探しだしたそのページを訪れるということは、僕にとってあまりにも奇妙な体験だった。


小田嶋隆はあまり変わっていなかった。偉くなってもいなかったし、書いていることは相変わらずだった。それは、喜ばしいことではあったが、僕をなん ともやるせない気分にもした。向こう見ずな 20代の小田嶋隆が、いきなり、40代子持ちの小田嶋隆になり、そしてあいかわらず文章を書いていた。

彼が書いたあまりにも正しい約 15年前の文章。そして、きっちりその分だけ歳をとって突然目前に現れた小田嶋隆。ノスタルジーではない。彼自身が予見したテクノロジーが生み出した、軽い、衝撃。

*1 我が心は IC にあらず、小田嶋隆、1988年,  ビー エヌ エヌ。(絶版)