Toyota Allion の CM

Photo: 珈琲屋から見たビルの谷間の緑 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, JPEG.
Photo: "珈琲屋から見たビルの谷間の緑" 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, JPEG.

村治佳織はアイドルか何かだと勘違いしている皆さん、こんにちは、羊ページです。彼女が出ている Toyota Allion の CM。
「もうだいじょうぶだよ」

っていう一言に、どきっとしたような、ホッとするような。だからといって、Allion 買わないが。きっとこれに反応した人は、疲れてると思う。


この数年は仕事フォーカスで良い、と思ってやってきた。その期間を長いとは思わなかったけれど、たとえば 2年前なんて言われると、とんでもない昔のことのように思える。で、最近はえらく消耗した感じがしている。自分の好きな業界で、とことんやっている人なら 誰しも、自分の全てを仕事にフォーカスさせることに、さして疑問は持たないと思うが、それでもちょっといっぱいいっぱいな感じが最近してる。

それは、「ただの寝不足でしょ」という意見もあるし、「歳ね」という言い方もあるし、あるいは、「とうとう飽きたのか?」という声もある。まあ、別 にどれでもないし、どれでもあるのかもしれないし。振り返ってここ 1年位の羊ページを見てみれば、圧倒的に食べ物の話が増えていたり。そりゃそうだ、忙しいときのプライベートな時間なんて、飯喰ってる時ぐらいだもの。こ こ数年で、どこでも光ファイバや、Wireless LAN や、Air”H が通るようになって、果てしなく仕事が追いついてこられるようになった。ビジネスだって、凄く速くなった。


なんか自分の中のバランスが崩れているんだと思う。経験とか、感情とか、そういうものの収支が、傾いていて、債務超過。フォーカスして専門的になっ て、最適化されて、でも、多様性とか無駄な経験とか、そういう実は大事なものが足りない。うまく、ライフサイクルが出来てない。元ネタが枯渇して、次の一 手が出てこない。

、、。別に泣き言を書きたいわけでもなく、自分の「感じ」みたいなものを文章にしてみるのは、なかなか整理がついて良い。実は似たようなことを近場の人間達には言ってみたりもしたのだけれど。

まあ、とりあえずは午前1時前に寝るのを目標にしてみるか。(もう過ぎてるが)


注:普通にこの人の音楽好きなんですけどね。sinfonia とか。

45日目でiPod死亡

ThinkPad を巻き添えにして完全に息の根が止まり、「呪いの白い小箱」と 化した iPod は宅配業者の手によって引き取られ、修理に送られていった。IBM のピックアップを頼んだ時は、ノート PC 専用の回収 box に詰められて「凄いな?」と関心したが、iPodは廃棄スポンジにしか見えない緩衝材に挟まれ、拾った空き箱にしか見えない小振りの段ボールに詰められ、 送られていった。不安だ。

ちなみに、宅配便のドライバーは、伝票の品名を書き込むところで凍り付いて
「すいません、、これはいったい、何なんでしょうかね??」

と質問していた。うん、、何なんだろうね、この小箱は、、。


今は、iPod のトラブルシュートの過程で、ボロボロに崩壊し、再インストールの憂き目にあった ThinkPad(いつも羊ページを書いているマシン) と格闘中。そもそも Windows 版 iTunes が出て、新しいファームウェアも出て、そろそろメインテナンスするかと思ったのが運の尽き。iPod ったら、なんだか接続認識しないし、アンマウントできないし、マニュアル通りに強制的に切ったら二度と上がらないし。感想としては、「なんちゅう、恐ろし い製品だ、いや、もはやこれは製品なのか?」

それでも、昔 Apple ユーザであった経験を生かして(ロジカルなワークアラウンドよりも、常に、信仰に裏打ちされたキーコンビネーションがポイント)復旧を計ったのだが、様々 なツールのインストールと、iPod の強制マウント・アンマウントの繰り返しにより、iPodの復旧というよりもむしろ「Windows XP が壊れました。」

つらい、、。


ちなみに、iPod が使えないと存在意義が半減するという噂の iTunes for Windows は、とてもできが良い。でも、ライブラリ機能の使い勝手と、ビジュアライゼーション(音に合わせて絵が変わるやつね)のセンスの良さは、今、 Windows 上で使えるメディアプレーヤーの中で最高のレベルにある。P4 で動くと、安いし、速いし、とてもいい。


注1:iTunes はまだ英語版しかないから、保証外だろ、という指摘もあるでしょうが、トラブったのは iTunes にたどり着く前のところです。まだ、ファームアップデートもなんにもしてないのに、、。
注2:iPod(dock版)は思ったより音が良いのと、充電もあまり面倒ではないので、気に入ってはいるのです。

杉田かおる

過ぎたるは及ばざるがごとし。

杉田かおるは及ばざるがごとし。

注:管理者が今最も注目している「女優」杉田かおるの偉大さについて、語るべき事は多い。その華麗なる恋愛遍歴の中には「漁師」というものまである。杉田先生は「私は漁師を釣った」と豪語されていた。

大阪のホルモン屋

Photo: 大阪のホルモン屋 2003. Osaka, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, JPEG.
Photo: "大阪のホルモン屋" 2003. Osaka, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, JPEG.

「さぁっ、次なにしよう。ミノか、よっしゃっ、じゃあミノ行こう。」

きっぷがいい、という言い方がぴったりのホルモン屋のおやじは、もう 30年以上、ここで商売をしている。

そんなおやじの店に行くようになって、3年ぐらいになるだろうか。

場所的には鶴橋あたりなのだが、ちょっと思いつかない場所にあって、僕たちがその店を最初に見つけたのは、まさに偶然。2軒ばかり外した店に入ってしまい、それでも納得がいかなくて、ふらふらとさまよっている時に見つけた。ホルモンの暖簾、昔ながらのカウンター、関西独特の焼き台。凄く美味いか、全然ダメか、もうどっちかしか無いという感じ。思い切って、暖簾をくぐった。


以来、大阪に行くたびに、できるだけ寄るようにしている。ある時は、同席のおばちゃんに人生を占われ、ある時は、カウンターの隅で喰っていたおっさ んに神戸あたりでのキセルのやりかたを(別に教えてくれと頼んでいないんだが)教わったりした。食べ物だけじゃない、本当に、ディープな大阪の空気がある場所。

カウンターには、ブリキの「味の素缶」みたいなものとか、怪しい胡椒容器とかがあって、オヤジはそれをちょいちょいとタレに溶かして、出してくれ る。いったい何が入っているのかちっとも分からないけど、ここでしか食べられない味がする。僕はホルモンをそれほど好むわけではないのだが、ここの店のは 別だ。ホルモンが新鮮なのは言うまでもなく、かなりちゃんと掃除(下ごしらえ)をしているんではないか。僕が、この店の様子を話して聞かせた板さんはそん なことを言っていた。


今日、テレビ(なぜかトリニトロン)は甲子園の阪神戦を映していて、カウンターには僕たちだけ。ミノをつついていると、阪神が逆転サヨナラを決めた。僕は、野球には全く興味はないのだけれど、大阪で、ホルモンを喰いながら、阪神の逆転勝利を見る、というベタベタの状況に思わず声をあげた。
「おー、すげーーっ」

カウンターを出て、テレビを凝視していたオヤジもご機嫌だ。今年の阪神は強い。さて、そろそろ次のメニューを頼むかな?


注1:一般的にはテレビのついているような店は、ダメということなんだろうが、それはあくまでもつまらん一般論ではある。テレビがついていてもこの店は美 味しい。あと、ジャズが流れている居酒屋はよくないというのもあるみたいだが、ジャズが流れていても、凄い良い店はある。(チェーンじゃないよ)
注2:それでも大阪は好きではない

戦場カメラマン ジェームズ・ナクトウェイ

僕は戦争を食い物にしている、学者とか評論家とかを見るたびに、年に一度ぐらいは地雷掘りにでも行けよと思うのだが、戦場カメラマンはそれに比べれ ば自らを危険に曝しているという点に於いてまだ許せる。写真はその場に立たなければ、どんなに腕の良いカメラマンでも撮れないからだ。

しかし、それでもなお、被写体を搾取しているかのような、そんな印象は消しがたいものがあるのであって、素直に称賛する気にはなれない。人の不幸で 飯を食っている、成功している。カメラマン自身もまたそんな気分になることがある、それはノルマンディー上陸の写真などで有名な戦場カメラマンであるキャ パも言っているし、現代で最も有名な戦場カメラマンの一人であるナクトウェイも言っている。

戦場カメラマン、ジェームズ・ナクトウェイ (James Nachtwey) の写真を初めて見たのは、ボスニア内戦が激化した頃だった。当時、日本のメディアがほとんど取り上げなかったボスニアでの戦いは、かろうじて一部のメディ アが外報の転載という形で伝えていた。僕が見たのは、ドイツのシュテルン特約のボスニアの写真。トラックが、荷台一杯の兵士の死体を穴に流し込んでいる瞬 間を撮った一枚だった。

その写真の、あまりにも戦争の中に入った視点、冷静な構図と撮影技術は僕に強い印象を残した。当時は、別に写真が趣味でもなんでもなかったから、そ の撮影者の名前は見もしなかったが、後にたまたま買ったナクトウェイの写真集で、その写真もまた彼の作品であることを知ったのだった。


10月 24日まで、東京都立写真美術館で上映されている映画 war photographer は、そのナクトウェイについてのドキュメンタリー映画だ。ある日曜日、僕は意味もなく一眼レフをリュックに入れ、電話で上映時間をチェックして、その映画を見にいった。

ナクトウェイの一眼レフの上に付けられた小型の CCD カメラ。映画は、新しい技術を使うことで、今まで本人以外の誰も見ることができなかった、戦場カメラマンの視点を、スクリーンの上に映しだしていた。ちょ うど、カメラ上部のステータス表示液晶と、モードダイヤルが画面下に入るフレーム。音声には、ナクトウェイの息づかいや、ダイアルをまわす音、シャッター 音、フィルムドライブのモーター音などが入る。

近い。息子を殺されて泣き叫ぶ母親を撮るナクトウェイ。冷静に、静かに近づき、露出を計り、シャッタースピードを調整し(このとき、マニュアル露出 モードで撮っていることさえ分かる)、シャッターを切る。普通、人にレンズを向けるというのは、そう簡単なことではない。特に、このような状況にある相手 に、レンズの存在を受け入れてもらうことは、とても難しいと思う。しかし、ナクトウェイは撮り逃げたりするのではなく、母親をとりまく親戚連中の中にゆっ くりと入り、シャッターを押す。ナクトウェイの CCD から見ると、彼女達が、ナクトウェイの存在を受け入れていることが「ちゃんと」分かる。

ナクトウェイは、自分がそうやって撮った写真が、彼女の身に起こった戦争の悲劇を世界に伝え、ひいてはそれが、世界を良い方向に前進させると信じている。だから、シャッターが切れる。そこまでの信念。


何度も致命的な負傷をし、病気にもかかっている。ニューヨークのアパート兼仕事場は、あまりにもストイックで、そこに暖かさはない。現像し、ポジを ピックアップし、コメントを整理する。そして、新しいフィルムをケースに詰め、ブーツの紐を締めて、また戦場に向かう。何故、そんなことをするのか。正直 意味が分からない。しかし、僕はスクリーンを見ていて、体が震えた。普通のリュックに、普通のシャツとジーンズ。キヤノンの EOS が 2台。そして、首から提げたプレスパス。ありふれたカメラという道具を使って、ここまでのことができるのか。いや、ここまでのことをしようとするのか。

映画館を出て、ちょっとくらくらしながら歩くと、そこはいつもの恵比寿の夜の街並みだ。ナクトウェイは今、戦場の写真と同時に、世界の貧困地帯の写 真も手がけている。そして、そうした写真をメディアに載せることは、年々難しくなってくるのだと言う。スポンサーは、自社の製品の広告の横に、餓えで針金 のようになった子供の写真を載せたがらない。

この男が、なぜそこまでして地獄を撮り続けるのか。成功して有名な自分と、戦場の硝煙のバランスをどうとっているのか。世界の進歩を、どうして信じられるのか。なに一つわからない。ただ、自分の中に大きな石を投げ込まれた気分なのだ。

参考文献1:inferno, James Nachtwey, 2000/03, Phaidon Inc Ltd, ISBN: 0714838152
参考文献2:ちょっとピンぼけ 新版, ロバート・キャパ, 1980/01, ダヴィッド社, ISBN: 4804800727