イスラエルのベイウォッチ

イスラエルのベイウォッチ。

イスラエルにも海はあって、そこにはライフセーバーがいる。テレビで見た。

水の事故は割に多いらしい。イスラエル人は自分は大丈夫だと思う人が多いからなんだって。

注:イスラエル・ベイウォッチのおっさん談。

幸せの家族

Photo: Photo: 2000. Tamagawa, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, AGFA APX100(Mono)
Photo: Photo: 2000. Tamagawa, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, AGFA APX100(Mono)

梅雨の晴れ間の日曜日、お父さんの自転車に乗せられて、風が頬っぺたを伝う。

多分、この日の事を君は忘れてしまう。でも、いつかこんな空を見上げて、何故か懐かしくなるのかもしれない。


僕は、そんな君の景色を、そっと撮った。

僕には、こんな思い出がない。だから、君の幸せがちょっとうらやましくて、それ以上に、君の景色が大切に思えたんだ。

人類の記憶の不完全な

Photo: Photo: 2002. Canon Power Shot G1 2.0-2.5/7-21(34-102), JPEG.
Photo: Photo: 2002. Canon Power Shot G1 2.0-2.5/7-21(34-102), JPEG.

生命は、存在し続けるために、存在する。
そして、種が存在し続けるために、個体は死ぬ。全ての記憶とともに。


記憶の継承が行われない理由は、それが恐らく、種としての多様性や革新性を阻害し、環境の変化に対する大きなリスク要因になるからだろう。

人が死ぬとき、個人の記憶は誰に引き継がれることなく、最後の鼓動とともに、消えていく。「メディア」は、自らの記憶の残滓を、永遠に残したいという儚い夢から、生まれたものなのかもしれない。


メディアによる知識の継承は、まずテクノロジーを生んだ。テクノロジーは浸透し、拡大する。そして、ついにネットを生んだ。地球を覆い始めたネットは、「メディア」だけで構成された、継承可能な不滅の記憶。そして、人類の記憶の不完全なコピー。

それは、僕たちに何をもたらすのだろう?

ネットラジオ

インターネットラジオ、最近かなり気に入っている。

以前は、あまり音質の良いものがなかったし、不安定だったが最近はまるで実用。44KHz のステレオで普通に放送されているので、文字通りラジオ感覚で使える。

行きつけのアイリッシュパブも実は、インターネットラジオが BGM だった。イギリスの放送なので、珍しい有線かけてるなぁと思っていたのだが、、。


それから、ホームページの作者がやっているラジオというのも、新しい。ブロードバンドとかストリーミングとかいうのは、コンテンツの利用者とコンテ ンツの提供者が、限りなくイコールになることが、発展の鍵だと僕は思っている。ホームページではあきたらず、ストリーミングをやってしまうホームページ管 理者のパワーっていうのは、久しぶりに新しい気がする。

気に入りのホームページの作者がしゃべるラジオ、というのは、なんとも新鮮であり、変な気分でもある。あのページの誰々がしゃべってる、すげー。とか思うのだが、その誰々っていうのは別に一般的に有名なわけじゃない。
「江戸川の中学生って怖ぇよな」とかそんなローカルな話をききながら、それは、やっぱり面白いのだけれど。


追伸:ちなみに、羊ラジオって、やったら誰か聴きますか?

注:お気に入りのラジオ局はここ。Smoothjazz.Com。DJ のおしゃべりが少ないのがいい。

貧富の差

Photo: Photo: 2002. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Kodak Tri-X pan, F.S.,
Photo: Photo: 2002. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Kodak Tri-X pan, F.S.,

少し前。

中国での亡命騒ぎがあって、それについての同情的な意見が多かったけれど、僕は別の感想を持ってそのニュースを見ていた。今回の亡命希望者は 5人。だから、どうにかなった。これが 50人だったら?500人だったら?5千人、5万人、50万人だったら?


21世紀、貧富の差の拡大が、人類にとって最も困難な課題と言われている。世界的規模で、個人の所得格差、国家間の経済格差は拡大する一方だ。

今や、国と国、個人と個人を隔てているのは、思想や政治体制、言語・文化ではない。経済の格差が、壁をつくり、憎悪や闘争を生み出す。貧しい国との国境には厳重な国境線がひかれ、低所得層の集まる街頭には監視カメラが設置される。


みんな「持たざるもの」ではなくて「持つもの」になりたい。

そもそも、富が全ての人にいきわたる事はない。格差こそが、経済を生み、富を生むからだ。だとすれば、貧富の差は、経済が高度に発達した結果もたらされた、ある種の現実解なのかもしれない。

ここまで書いてみたところで、何か結論があるわけではない。ただ、重いため息がでるだけの話。

さて、明日も仕事にいくか。


注:所得層によるターゲッティングでカメラを設置しているのは、イギリス等。