あゆ

都内某所のクラブで、I.W.Harper の、やけに濃い水割りを飲んでいた。隣に座ったのは、ついこの間まで音響関係のアシスタント・ディレクタをしていたという 20代半ばの女の子。
「どんな音楽、聴くんですか?」

と訊かれて、とっさに
「あー、あゆ」と答えた。
「うげ、めちゃめちゃミーハーじゃないですか」


まあ、別に嘘じゃあない。僕は結構あゆの曲が好きだ。ちゃんと聴けば分かるけど、彼女の CD は、どの曲にもたっぷり金がかかっている。

聴かせるフレーズがふんだんに織り込まれ、キャッチーな音色を使って編曲され、ボーカルは芸術的に加工され、全て計算し尽くされている。しかも、 フィニッシュのマスタリングは、平均的で安っぽいオーディオで再生したときにフラットになるように、明らかに操作されている。いわゆる、いい音ではない が、売れる音なのだ。そういうのは、別に不愉快だとは思わない。

あるいは、彼女の歌詞を批判する人もいる。自分の事しか歌わない、身の回りのことしか歌わない、そんな批判だ。でも、久しぶりに歌詞を批判される歌手が出てきたこと自体が、僕には嬉しい。


そういうわけで、僕はあゆの曲が結構好きだ。それにしても、
「あゆだなんて、もろに世間に流されてません?」
「う、、うん(しまった、この子が元業界関係者だってことを忘れてたよ、、)」

注:別にあゆだけ聴いてる訳じゃないです。
注2:「あゆは歌が巧い」とは一言も言ってません。

またラジオを聴いている

小さい頃、僕はテレビを見ないで育った。

家には真っ赤な色のテレビがあったけれど、それは壊れていて、修理されることは無かった。台風が過ぎ去った朝、うちのテレビアンテナが倒れ、隣家の屋根につきささった。それっきり、屋根からアンテナも無くなった。

シルバーのいかついラジカセから流れてくる AM ラジオ。NHK の小難しいニュースが、僕にとっての娯楽だった。小さい頃、親のレコードに囲まれて育った子供が、やがて音楽を志すように、僕は、いつか報道の世界で生きたいとさえ思った。


それは過ぎ去ったこと。やがて、テレビも普通に見るようになった。僕は報道を仕事にはしなかった。

でも、最近、またラジオを聴いている。B&W のスピーカーから流れてくるのは、ケーブルテレビ局がフィードするクリアなFM放送。今は、音楽を聴いている。音楽を聴くようになったのは、中学生になってからだ。

休日の午後、少し冷たい風に吹かれながら、ラジオを付けっぱなしにして、微睡むのが好きだ。その一瞬だけ、僕の意識はあの日の自分に戻る。

注:微睡む(まどろむ)

カレーで頭を痺れさせる

いつものように、卵カレーを食べながら、窓の外をぼんやりと眺めている。

午後 11時。客の入りはなかなか多い。向かいの友達はタバコを燻らせながら、マトンカレーの残りをすくっている。さっきから、会話はほとんど無い。テーブルの上で、グラスの発泡酒がぬるくなっている。

何かを考えるのもかったるく、僕たちは店員の様子やら、窓枠に光る電飾やら、そんなものを眺めていた。エスプレッソを持ったインド人のウェイターが、注文したお客を忘れてしまって、ウロウロしている。そこで事件が、、起きるはずもなく、僕たちは食べ終わって外に出た。


何かをしなくちゃいけないとか、楽しくなくちゃいけないとか、そういうのばっかりは疲れる。カレーで頭が痺れて、丁度良かった。

女に叩かれる

彼女の左手が僕の頬に飛んで、パシッと乾いた音を立てた。

驚いた僕の視線と、直ぐ横で電車を待っている女性の驚いた視線が、一瞬、交差した。しかし、ケタケタ笑っているほろ酔いの彼女を見れば、直ぐに冗談と知れる話ではあった。

友達と一緒に、その酔っぱらいを電車に押し込んで、見送る。電車が行ってしまうと、春の夜のぬるい風が、頬を撫でた。これが冬だったら、痛かったんだろうな、なんて思った。

注:彼女→ she の意味ね。