去り際に

the empty glass.
Photo: “the empty glass.” 2015. Tokyo, Japan, Apple iPhone 5S.

去り際に、「ウイスキーお好きなんですか? ..またどこかで」
と言ってきた女は銀座の女であり、その日、僕はバーボンを1杯とシナトラを飲んでいた。

隣に座っていた彼女は、バックから何かを落とし、僕は一緒に探した。そんな所作も洗練されて、銀座に相応しい いい女、僕はいたく感心した。

1杯目からウイスキーをストレートで飲んでいた彼女とは、なんとなく友達になれそうな気がした。が、何かが僕を止めた。それは、プライベートな酒を邪魔してはいけない、ということだったのかもしれない。


「銀座の女性は、お酒が嫌いなってしまう事があるんですよ。だから、自分でゆっくり飲みにくるんです。」

バーテンダーにそう教えられて、やっぱり話しかけなくて正解だと思った。あるいは、またどこかで会うこともあるかも知れない。

新潟、墓碑。

Life corridor.
Photo: “Life corridor.” 2015. Niigata, Japan, Richo GR.

そして、新潟までやってきた。

年老いたご両親が僕たちを出迎えてくれた。迎えには行けない、とメールには書いてあったが、きっと2人が居ることはなんとなく分かっていた。

・・・暫く連絡をしていなかった。

真夜中に「さようなら」と書かれた web のエントリーを見つけて、翌日、なんとか住所を調べて同僚2人と一緒に家にたどり着いた。チャイムの呼び出しには誰も出ることは無く、駆け込んだ交番の警官は、つい数日前にその家主が自ら命を絶った事を僕たちに教えた。

家の中では亡くなっていない、近くの公園。つまり、その物件は事故物件にはならない。最期まで、気を遣っていたんだと思った。両親が呼ばれ、遺体は引き取られ、全てはもうカタがついていた。

交番からの帰り道、ガラガラの居酒屋で食べた蒸ニラに卵の黄身を載せた、変なメニュー。ボトルのハイネケンは、かつてなく酷い味がした。3人で、クソまずいな、と言いながら飲んだ。


それから数ヶ月、知り合いの嫁の知り合い、というツテで両親から僕に連絡が来た。生前、仲良くして頂いたようで、なにか話しを伺えればと。電話口の年老いた声。

あんなに優しい人は居ませんでした、たぶん、優しすぎるぐらいでした。そんな言葉が、何かの慰めになったのか、ならなかったのか。

悲しみに暮れる母親のメールの何通かを僕は無視し、一度だけ先輩の写った写真を何枚かプリントして送った。なんとか、お墓を建てる事ができました。そんなメールが来たのは、亡くなって1年したぐらいだろうか。


やっぱり、墓参りに行きましょう。ごく親しい人にだけ声をかけ、結局元同僚と2人で行くことになった。新潟駅からローカル線で数駅、ここが彼が言っていた故郷、彼がバイトをしたというモスがある街。そして、僕達の目の前に立つご両親は、ひどく小さく見えた。

「お墓は建てるな、って書いてあったんだけど」

先に死んでしまった罪はあるのであって、遺された者には何かの形がどうしても必要だったのだと思う。墓碑にはただ、「ありがとう」と刻んであった。なんて酷い、馬鹿か。