紫禁城の Hyundai

Photo: 玉座 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)
Photo: “玉座” 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

故宮博物院は、どこですか?と訊けば、それはあんたが今出てきたとこだよ、と公安のおっちゃんは答えた。ああ、故宮博物院というのは、まさに紫禁城そのもののことなのか。

有名で、広大で、端から端まで歩こうとも思えない、かの天安門広場の北側に位置するのが、かつて清朝皇帝が住んだ宮殿、紫禁城だ。前回北京に来たときに、ちゃんと見なかったので、今日は気合いを入れて、カメラのバッテリーを充電してやってきた。


おっちゃんの指示通り、城壁の東側の小さな門から再び紫禁城に戻り、入場券を買う。鉄の柵で「強制的に」行列するようにつくられた入場券売り場は、冬場と言うこともあってガラガラだった。観光客は、圧倒的に中国人が多く、欧米人は殆ど見かけない。入場券を売る窓口の横で、明らかに非公式のガイドブックを押し売りするオバチャンと、浮浪者なのかただ貧しいだけなのか、区別のつかない老人が言い合っている。


ばかばかしいほどの巨大さと、虚飾。場内には、意外と沢山の観光客が居たが、それ以上に敷地は広く、混み合った感じはしない。幾つ目の門をくぐったのか、分からなくなった頃に、映画「The Last Emperor」でも出てきた皇帝の玉座にたどり着く。映画と違って、建物内に入ることは出来ないし、ハンドマイクのブザーで誘導されることもない。建物は修復されているが、冬の乾ききった北京の空気の中で、玉座の周りは薄暗く、埃っぽく、かつての威光を想像することは難しい。

群がる人混みをかき分け、条件も悪かったので、デジカメにものを言わせて、沢山の枚数を撮ってみる。連続するシャッター音に、周りの中国人が驚いた ようにこちらを見る。皇帝の玉座からひたすら奥に、つまり北の方角に進む。おそらくは後宮にあたる部分を歩いて行くと、際限なく小さな館が続いている。目に付く部分は、結構まともに補修されているが、少し裏に回ると瓦が痛んでいたり、石畳に穴が開いていたりする。柱は、豪快にペンキで塗られているように見える部分もある。補修というよりは、修理だ。こうした文化財に対する適当な扱い、というか、大雑把さには結構驚かされた。


中国は、およそ写真を撮ると言うことではやりやすいが、(もちろん、軍人や警官を撮ったりすると面白く無い目に遭う)博物院の収蔵品も撮り放題だったりする。皆、フラッシュも使ってバシバシとっているし、係員も何も言わない。ケースのガラスに触る人間すら居る。こうしたことに慣れた中国人が、海外旅行のマナーで問題を起こすのも分かるような気がする。基本的に、気にしないのだ。

宮殿東側の珍宝館と呼ばれるエリアは、更に追加の料金がかかる。10元。料金は安いが、あまり人気が無いようで、ガラガラだ。空いている観光地は大好きなので、10元払って小さな門を潜る。9匹の龍を彫った壁、西太后が珍妃を投げ込ませて殺した小さな井戸、素人には区別のつかない、いくつもの宮殿、 宮殿、宮殿。どこまで続くのか分からないだけに、正直、だんだんウンザリしてくる。

林立する館を抜け、ひときはやかましい韓国人の観光客の一団を追い越し、狭い門を抜けると、突然、後宮は終わった。高い壁が、後宮と外界を隔てている。目の前には、だだっ広い、朱の壁に囲まれた回廊が広がる。The Last Emperor で愛新覚羅溥儀が自転車に乗って、この長い回廊を走るシーンはとても印象的だ。それが史実にあったことなのかは分からないが、朱の回廊と、西洋の自転車の コントラストが、この映画のテーマを象徴しているように思えるのだ。


Photo: 紫禁城回廊 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)
Photo: “紫禁城回廊” 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

尾の長い、青い羽根の鳥が先導するように回廊を飛んでいく。紫禁城と、これに隣接する中山公園には、緑が結構多いせいか、鳥を意外と多く見かける。その鳥を追って回廊を歩き、天安門方向に抜ける回廊との交差点でふと立ち止まると、公安の車が人混みの中をゆっくりと走ってきた。最高の権威から、人民のための観光地となった紫禁城。そこに、かつての権力の象徴から、徹底的に神秘性をそぎ落とし、大衆的な娯楽にまで貶めることで、その権威を完膚無きまでに打ち砕こうとした後代の権力者達の意図のようなものを感じるのは、穿った見方だろうか。

いずれにしても、かつての権力の場所が、観光地となって民衆を楽しませるというのは、日本でも、世界でも、あらゆるとことで見られる光景ではある。そうして、僕が日ごろは使うことの無い「民衆」という単語を使って文章を書きたくなってしまう、そういう気配が、この場所で目にした景色にはあった。かつて民衆は立ち入ることを許されず、女官や宦官が行き交った回廊には今、中国全土から集まった民衆が溢れ、楽しげに観光をしている。時代は変わり、この国は中国共産党が支配している。しかし、公安警察が乗っている車は、韓国製のHyundai。中国は世界の工場であると共に、世界中からあらゆる資源と製品を飲み込む、消費大国に変貌した。

僕には、ここからの眺めが、色んなものが一緒くたに詰め込まれた、オリンピックの後の中国を象徴した景色に見えた。

鍋屋のランラン

Photo: No.1 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)
Photo: "No.1" 2009. Beijin, China, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

ガイドブックに従って訪れたレストランは、民族衣装姿のスタッフが総出でお出迎えしている時点で、もうある意味アウトであり、ある意味当たりだった。これは、ぼられる。でも、腹減ったし。


ガランとしたホールを抜け、中庭に面した回廊のような場所にあるテーブルに案内される。中国人のビジネスマンらしき先客がいて、なにやら鍋を煮ている。それほど、観光客相手という場所でも無いのだろうか。

席に着くと、愛想の良い小柄な男が、嬉しそうにやたらに高価なコース料理を勧めてくる。2,000元?ありえない。簡体字はよく分からないし、 English 何ソレの世界だ。これはなんです?えーと、犬か?いや犬はいらないから。小男と散々議論の末に、羊肉と薬草の鍋にする。値段は、500元程と、それでも良い値段がする。

鍋が煮えるまでの間、中庭を挟んで反対側にある、小部屋を案内される。寒くないのか心配になるくらい安っぽい民族衣装を着た、中学生ぐらいの女の子が、中国語で熱心に(全く分からないが)説明してくれる。名前は分からないので、仮にランランとしておく。かつての貴族の生活を再現したとおぼしき、家財道具や楽器、書物などが慎ましく並べられている。後半、ちょっとだけたどたどしい英語で、部屋に置かれた鏡の来歴を話してくれた。ランランは学校に行っているのだろうか。


鍋は、羊の脂の無いところを使って、朝鮮人参、白キクラゲ、山芋などと一緒に煮た、「火鍋の辛くない方の半分」みたいな内容だった。朝鮮人参と書いたが、実際、野菜達は中国原産らしい薬草の類で、自分が何を食べているのかよく分からない。羊は中国で食べるモノとしては例外的に臭みが無くて美味。スープは鳥をベースにしたものだろうか、まろやか。

一緒に何皿か出てきたつまみが、意外にも全部美味しい。まずは、ウズラの卵のピータンのようなもので、匂いがきつくない割に、こくがある。つまむのに丁度良い。白菜を辛子で漬けたモノ。これは、荒く潰した芥子種のぴりっとした風味が強く利いていてさわやかな品。料理の名前が是非知りたかったのだが、日本の中華街などでも見つからなくて、未だに分からない。それに、かなり干してスモークした、ソーセージ。豚の骨をカラメルで挙げたモノ。これはプリ ンみたいな味がして、見た目よりも美味しい。同じ料理を、中華街の広東料理の店で見かけた。12元のチンタオビールは、やっぱりアジア的にぬるい。

何だか良く分からないが、追加でこれも食べるか?と色々と皿を持ってこられる。明らかに、追加料金を取られる気配だし、ただでさえ食べきれない量なので、断る。絶対いらない!と餃子を断ったら、ウエイトレスは、とても不満そうだ。断った餃子は、テーブルに置かれるでもなく下げられるでもなく、執拗な までに隅の窓の所に置きざらしにされ、ついにテーブルを立つときまで置きっぱなしだった。明日も、あのままどこかのテーブルに供されるのだろうか。


銅鑼の音が鳴ると、ショーの合図だ。先ほど通った、ガランとしたホールに、けばけばしい民族衣装の女の子が 6人ほど、踊っている。ランランよりは年長に見えるが、彼女たちも本当なら学校に行っていているような年齢だ。舞台の袖の方では、同じような年齢の男の従業員達が、ソワソワしながら彼女たちを見ている。中国舞踊がどのようなものか、僕には知識が無いが、決められた動きの中にも、個々人の優雅さの違いみたい なものは見て取れる。多分、一番華があるのはこの子か。

カーペットの糸はほつれ、衣装は安っぽい化繊の光沢を放つ。ガランとしたホールに、すり切れたテープの民族音楽と、数人の観客。それでも、そこに郷愁を感じることが無かったのは、彼女たちのあくまでも前向きな表情のせいだったかもしれない。彼女達は、何かに繋がる第一歩として、踊っているのだろう。 あるいは、殆どの子がここで終わってしまうとしても、それで十分なのだ。例えばランランは、このステージにも立つことも出来ない。


レジを済ませて、割と美味しい料理に、ランランの案内に、謎の舞踊ショーならこんなものかと思う。外に出ようとすると、急場のお土産屋台が出来ている。店員は、ランランか、、。扇子とか、根付けとか、粗末なお土産品。何か買ってあげたかったが、とても買う気になるようなものは無かった。

「See you.」

と英語で挨拶すると、恥ずかしそうにサンキューと返した。彼女に、二度と会うことは、無いのだと思う。ランランには頑張って欲しいなぁ、と勝手に思う。とても、勝手に。

北京のビッグマック

Photo: "北京のビッグマック"
Photo: “北京のビッグマック” 2009. China, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

旅の始まりはマックと決まっているので、荷物を置いたら早速マックに行ってみる。実際、腹が減っていた。新宿歌舞伎町の深夜のマックのように、北京の深夜のマックにもどことなく荒れた雰囲気が漂っていた。お客の殆どは、始発待ちの若者のように見える。机に突っ伏したままの男や、クラブ帰りの(そんなものがあるのかは知らないが)グループや、カタギっぽくないオッサンとケバイ女子、入り乱れた客層。


バイトのスタッフは、不機嫌を顔に貼り付けたように無愛想なオバチャン(ヨネスケに似ている)と、熱心に掃除らや片付けやらをしているおっチャン。 奥で、やる気無くハンバーガーを組み立てる社員風の店員が一人。社員とバイトは多分制服が違うのであって、見ているといくら忙しくても社員はバイトの分担と思われる仕事には決して手出しをしない。資本主義の権化のようなマックでも、北京では官僚主義のルールが支配しているのだろうか。若い、顔立ちの整った店長が不機嫌な顔でレジを締めている。


行列の存在しないカウンターで、割り込んだり割り込まれたりしながら、ビッグマックとプライドポテト、そしてコーラを頼む。というか、それしか頼めなかった。英語は潔く通じない。飲み物は訊かれなかったが、どうやらコーラ一択というシステムのようだ。潔い。ショップの中には、ずっと公安警察(日本の警視庁)の人間が居る。別に何を取り締まっているわけでも無さそうだが、飲食物に金を払っているようにも見えないし、ただ休憩をしているだけにも見えない。カトラリーボックスの中をいじったり、店員と談笑したり、時折携帯で電話を受けたりしている。まっとうな勤務をしているとは、やはりとても思えない。あるいは、彼らが居ることに、24時間営業できる理由、のようなものがあるのかもしれない。

フライドポテトは、食べていて嫌な予感がしたので、途中で食べるのをやめた。が、やはり時既に遅く、酸化した油のお陰で手が痒くなってくる。ビッグマック自体は、なんというかちょっとパサパサで薄味な気がしたけれど(元からそんなもの、という気もする)、景気よく入ったレタスのおかげで、あの写真に 結構近い仕上がりになっていた。もう眠い。3元のミネラルウォーターをヨネスケから買い、帰途につく。


栓が出来ない湯船に、風呂をあきらめて、眠る。贅沢なクラスのホテルではないけれど、ベッドは広いし、特に不満のある部屋ではない。水が無いのが、ちょっと困る。40元で2リットルのエビアンがおいてある、円換算で500円ぐらいすると、やっぱりちょっと高く感じてしまう。 明日、商店が開いている時間に、水をしこたま買っておこうと思う。暖房を消して寝ると、凍死しそうな気がしたので、マスクをして暖房は入れたまま寝ることにする。前回、あまりの大気汚染に鼻血を出した苦い経験から、マスクは山ほど持ってきたのだった。

夜の北京は、予想外に静かだった。クラクションの音も聞こえない。空港からここに至るまでの間に、もう僕の中の日本の空気は薄くなり、北京の空気に入れ替わる。明日目覚めれば、違和感もだいぶ薄れるに違いない。