俺レシピ ソーメンチャンプルーのつくりかた

さて、懸案のソーメンチャンプルー(正しくはソーミンチャンプルー)の作り方ですが、やはりネイティブで食べていた人の意見を聞くのがベスト。そこで、僕の勤務先の同僚の沖縄出身の人にメールで聞いてみました。(同じビルにいるのに、メールを使うこの時代、、)

その結果判明した作り方の一例を、紹介します。


材料:

素麺(必須)
シーチキン(ポークでも可)
ニラ(無くても良いが、あるとなお良い)
サラダ油、胡椒少々

作り方:

  1. シーチキンはフライパンでカリカリになるまで火を通します。
  2. その間にに麺を茹でます。麺は茹ですぎず、固めに茹でます。
  3. ニラなどの野菜は麺を入れる前に火を通しておきます。
  4. 麺が茹であがったら水を切りすばやく炒めます。(油が足りないようなら足して下さい)
  5. 味付けはシーチキンの塩気で十分です。コショウを好みで入れてもかまいません。

* ニンニクがあるともっとおいしいらしい


ということだそうです。割と、具はまばらになる感じで量を調整したほうがそれっぽく仕上がります。

お中元で剰った(お中元の習慣がない、外資系勤務の方には寂しい季節ですが)素麺を少し目先を変えて食べるのに、なかなか良いと思います。結構美味しいし。

やっぱ DoCoMo でしょ

「やっぱ DoCoMo でしょ」

という CM を見て、苛立っている DoCoMo の利用者は多いのではないだろうか。

他社が、「音が良くて切れない CDMA1」とか、明確にメリットを打ち出している時に、「やっぱ DoCoMo でしょ」ってさぁ、、。

僕の携帯は、PHS から乗り換えるときに買った NTT DoCoMo のデジタル端末。もう 2年ぐらい前のモデルなので、先進の機能は何もついていない。画期的な機能といえば、グループ化して管理できる電話帳機能だろうか。(今やそれは、機能ですらないが)

その前は、今は亡き NTT Personal の PHS を使っていたし、その前は NTT DoCoMo のポケットベルを使っていた。僕はこの手のものに関しては、非常に保守的だから、ずっと電電公社なのである。

それでも、この電電的サービス品質には、少しウンザリしている。

いっこうに良くなる気配のない通話品質。 ブチブチ切れる通話。(これは、僕が使っているタコな端末のせいもある)

それでも乗り換えないのは、

  1. 電話番号が変わるのがめんどくさい (内蔵電話帳の内容を移す気力もない)
  2. 通話品質にはこだわっていない (音がすればいい)
  3. 長期使用しているので基本使用料が安い (でも、そんなに安くない)
  4. でもやっぱNTTだし (そうはいってもNTT)

というような理由による。

そう考えると、僕的には「やっぱ DoCoMo でしょ」と言えなくもない。でも、ああいう「あたりまえでしょ、けっ」的な CM は、やはり良くないよな、そんなにサービス良くないのに、と思うのだった。

お受験

文部省が「塾」の存在を認めたらしい。

僕がいわゆる「塾」(というか、予備校)と言われるものに通ったのは、高校生3年の半年間だった。

理由は簡単で、予備校に行かないと今の日本の受験制度では、どうにも大学には受からないからだ。(学校で習うことは、試験に出ないのだから仕方がない)

ただ、僕の周りでは、もっと早い時代から塾通いをするのが一般的だった。僕が小学生の頃、既に「お受験」は始まっていた。その頃既に、周りには午後11時過ぎまで塾に通っているような奴がけっこういた。


僕にとっては、そういう努力は驚異的に思えた。当時、僕は「塾」というものには足を踏み入れたことも無かったので、「塾」という場所ではいったい何が行われているのか、想像が膨らんだ。

もしかしたら、そこまでやらないと、ろくでもない将来が待っているのではないか?という怖さを感じたりした。小学校の4年生ぐらいから塾に行き、夜 中まで勉強し、学校の授業は馬鹿にしきって寝ている奴ら。(実際、彼らの睡眠時間の方が、小学校の先生よりもずっと短かったはずだから仕方がない)それで いて、試験ではあっさりと学年の上位を独占する奴らには、努力と犠牲に裏打ちされたプライドのようなものがあった。

例えば、僕のクラスで、一番睡眠時間が少なかったのはKという奴だったと思う。彼は、小学生にして睡眠時間5時間程度で、えんえんと勉強していた。人生の最初の段階から、なんか差がつきはじめているような気になったものだ。


塾というものに、明確な目標を持って行く人間は少ない。あえて言えば、塾というのは、将来のための保険のようなものかもしれない。

学歴が通用する、ある種のセグメントに於いては、いい大学に行くことで就職に際してのリスクを減らすことができる。つまり、良い大学に行けば、なんというか望ましくない職業(賃金が低い、社会的立場が低い、等)に就いてしまう危険が減る。

しかし、逆に言えばその程度の事を手に入れるために払わねばならない代償、それは果たして彼らにとって見合うものになるのだろうか。

結果論なのかもしれないが、もし、塾の勉強というものが自分の将来に対する保険だとするならば、その代償は思ったよりもずっと高価かもしれない。

ただ、僕はよく大人達がするように、塾に通って頑張っている人たちを批判したりしない。

彼らは遊んでいるのではない。時代の先端に立たされて、そこから逃げることなく頑張っているし、いろんな事を考えていると思う。だから、彼らが自分たちの努力に見合った将来を手にできると良いと思っている。


僕は結局、勉強とはあんまり関係なく10年以上趣味で触っていたコンピュータが、自分の仕事になった。僕は塾に行くという保険をかけなかったので、その分の時間を自分の興味のために使う事ができた。ある意味では、僕の選択はうまくいったのかもしれない。