琉球

Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film
Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film
台湾の中正駐機場。僕らが乗るEG292の行先表示は「琉球」だった。

こういうのって、どうなんだろう?何かの意図があって、「琉球」と書いているのか。あるいは、これがごく普通の呼び方なのだろうか。


アジアの歴史(それは太平洋戦争よりもっと前からの話)は、とても複雑で、こんなふうにしれっと書かれている「琉球」という呼び方にも、もしかしたら、誰かの思いがあるのかもしれないと思った。(何もないのかもしれないが)

龍山寺

Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film
Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film

元日本軍属のたち。彼らに日本への憎しみはない。そして僕達は、彼らを知らない。


台北にある、龍山寺。ここには日がな一日、より集まる老人たちの一団がいる。彼らこそ、かつて「大日本帝国」の軍属として、日本の旗のもとに戦った 人たちだ。歴史というのは、教科書に書いてあるほど理路整然としたものではない。彼らの立場もまた、オフィシャルな歴史というものからは、語られることは ないのだろう。では、歴史とは誰がつくるものなのだ?

この写真を撮ってから、7年以上。事実も、記憶も、思いも、押し流し、年月は過ぎていく。

食糧ビル

Photo: 食糧ビル 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa,
Photo: "食糧ビル" 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa,

保険の代理店をやっているというじいさんは、知り合ったばかりの僕たちをビルの一室に案内してくれた。そこが彼の事務所だった。ストーブが燃え、暖かい。部屋はあまり広くはなかったが、中庭からの光が差して明るかった。

従業員一人の保険代理店。机の上の文房具はきちんと整えられ、壁のカレンダーには予定がメモされていた。
「こうやってさあ、働いてるのが一番いいのさ。」

2年前、20世紀最後の冬。「佐賀町エキジッビト・スペース」のクローズイベントを見に行った時、僕ははじめてこの食糧ビルを訪れた。食糧ビルは、 地下鉄半蔵門線水天宮駅から、少し歩いたところにある。そのモダンな建築は、かつて穀物取引のために建てられ、今は、いくつかのアートギャラリーと、いく つかの会社の事務所が入る雑居ビルになっている。そして、だいぶ昔に立てられたこのビルで、だいぶ昔からこのビルで働いてきたそのじいさんと、仲良くなっ た。


今から半世紀ほど前。当時はまだ穀物取引が盛んに行われていた食糧ビルに、一人の若者が就職した。その頃、正米市場があったこの界隈は、とても賑やかだった。一生懸命働いて、あっという間に何十年かが経った。やがて、米の流通は自由化され、若者も定年を迎えた。

いったん会社はやめたけれど、小さな保険の代理店をはじめた。その事務所は、やっぱり彼が長年勤めてきた食糧ビルの一室だった。じいさんの人生は、このビルと一緒に続いてきたのだ。

美しいアーチ状の梁に囲まれた中庭、高い天井、コミカルなベランダ。食糧ビルは、見れば見るほど、興味の尽きない建物だ。じいさんは、一般の人は立 ち入る事ができない、ビルのあちこちを案内してくれた。これはあの映画の撮影で使った部屋、これはあのドラマで使ったトイレ、、これは昔は動いていたエレ ベータ。じいさんにもらった黒飴を舐めながら、廊下を歩くと、過ぎ去った時間の匂いがした。


その食糧ビルが、マンション建設のために壊されるという噂を聞いた。本当だろうか?


注:最近だと、C1000 タケダの CM はここで撮っていると思われる。