インド ビザ申請

インド ビザ申請。茗荷谷。インド旅行にはビザがいる。ビザがいる国って、行ったことが無い。

書類を書いて、ひたすら順番を待つ。ヒマラヤ登山みたいなザックを背負った女子は、何かに本気なんだろう。しかし、いまからザックを担ぐ必要があるだろうか?


思えば、旅の、あるいは日常の、いろんな事を忘れないように文章に書いて来たが、それでも、全体からすれば、いろんな事を結局は忘れてしまったのだ。そんな思いが過ぎる。

戸惑いながら学生旅行のビザ申請をする、旅行代理店の若い女。日本語が通じるはずの窓口で、ひたすら英語で押し通す日本人とおぼしき女。ビザ申請の窓口は、既にカオスだ。


僕よりずいぶん後にやって来たヒマラヤ女は、何故か先に呼ばれてかえっていった。順番とか、そういうのはあんまり、無いのか。既に、インド旅行は始まっている。

ソーシャル?

ソーシャルメディア、SNSに有る、ある種の押し付けがましさ、嘘くささ、変なポジティブ脳、そんな雰囲気は、いったいどこから来るのだろう。胡散臭さ、とはちょっと違う。それは、親切とか、シェアとか、良いものを与えてあげるよ、的な何か。

インターネットの初期には純粋に技術が好きで、それに対する驚きみたいなものがあって、それがドライバーだった。それは凄く純粋で、本質的で、心地よかった。もちろん、金銭的な欲とか、やり逃げ勝ちとか、そんな事もあったのではあろうけれど。少なくとも、気味の悪い嘘くささは無かった。

なんか、好きになれない、嘘くさい、納得できない、目が笑っていない、嫌でも前向き、充実、なんかおかしい。絶対、あんなものにのめり込めない。でもやっぱり、そういうのが得意な人は居るだろうし、広がるのだろう。そうして、人の心とのギャップを、あえて無視しながら、それに慣らされながら。その二重性・距離感を前提にしながら。別に、それでいいけどね。気持ち悪いね。

日本の食事は、ちょっと少ない

Coke and naan
Photo: “Coke and naan” 2013. Tajganj, India, Apple iPhone 4S.

「日本の食事は、ちょっと少ないことがあるから」

社食で飯を食っているときに、韓国から暫く来ている同じ部署の女性が言っていた。日本より一食の量が少ないと思った国は、考えてみると無いかもしれない。

ダライ・ラマも、何かのインタビューで「日本の料理は質は良いのだが、たまに量が少ない」と言っていた。


一つには、「もったいない」の文化があるのかもしれない。食事は残さず食べる、その前提があるから、量は少なめになる。なんとなくだが、食事は基本残す、という国の方が多い気がする。インドの旧市街でも、食べ残しの屋台の飯が、普通に街路に捨てられていたっけ。

残すって、やっぱり違和感があるな。